オーシャンチャレンジの歴史
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オーシャンチャレンジ(海への挑戦)海洋教育は、1981年夏、文鮮明師によって、アメリカ合衆国マサチューセッツ州グロースター市で、アメリカの青年男女の海洋教育プログラムとして、始められました。 このオーシャンチャレンジ海洋教育は、400〜500kgもある巨大な大西洋クロマグロを釣る為に、どんな荒海でも出て行くという、海に向かって挑戦する精神を養う目的で計画されました。
オーシャンチャレンジでは、文鮮明師がマグロ釣りの目的の為にデザインした、28フィートのマスターマリーン製グッドゴーボートが使われました。 1981年、最初のオーシャンチャレンジでは、35台のボートが使われました。 1982年は21台、1983年は35台、1984年は30台、1985年は30台のボートが使われました。 1986年は70台、1987年は80台のボートを使いました。1986年、1987年が一番多くの参加者が集まりました。この時は日本からも多くの参加者が来ました。 1988年、1989年、1990年は30台のボートが使われました。 オーシャンチャレンジには、毎年200人から300人の参加者がありました。 オーシャンチャレンジは、夏の期間、3日間、7日間、30日間の海洋教育プログラムが計画され、実行されました。
オーシャンチャレンジのプログラムは、レジャーやレクレーションではなく、真剣な青年教育のための場を提供するものです。 オーシャンチャレンジのプログラムは、ボートの実際の操船とナビゲーション(航海法)、エンジンのメインテナンス、マグロ釣りなどの理論の講義と実際の体験を通じて、集中的に学ぶ場を提供しています。 オーシャンチャレンジでは、荒海の中もマグロを求めて出て行くので、自分の知識、価値観、体力、性格、などの限界に気づき、その限界に挑戦することによって、新しい自分の可能性に目覚めることができます。 勿論、無謀な挑戦はインストラクターが戒め、安全な実施訓練を第一優先課題として、その範囲内で自己の限界への挑戦を実施しています。
文鮮明師は1980年10月2日オーシャンチャーチを設立されました。 文師は、1974年夏から毎年夏の期間、マサチューセッツ州グロースター市の港から海に出て、ボストン沖合いの漁場で、マグロ釣りを始められました。 漁場で錨を下ろして、マグロが来るのを待っている間、海を見ながら瞑想し、いかにして世界の多くの問題を解決し、平和をもたらすことができるかと神に祈り求めました。 そして神様と何度も出会い、神様から多くの啓示を受けました。 そのときの体験を青年たちに教え、海に出て神と出会うことを勧め、オーシャンチャーチを設立されました。そして、海は、神様と出会い、神様の願いを聞くことができる、大聖堂(Cathedral)であると言われました。 ある日、海が荒れて、他のボートが全て港に帰っていく中、文鮮明師のボートNew Hope 号だけが漁場に残って、マグロ釣りを続行されたこともありました。その時、マグロがかかって、2時間のファイティングの後、逃げられてしまいました。その時一緒にいた船員から話をきいたところ、 「その日は、ボートが波の谷間に入ると、まったく周囲が見えないくらい波が高かった。波の高さは7m〜8mはあった。」と言っていました。「そして、マグロがボートの近くまで引き寄せられて来て、銛を打ち込もうとしたら、マグロが波で持ち上げられて、上に向かって銛を打 つようになった。それ程波が高かった」と言 っていました。 荒波の中2時間のファイティングで、ボートの船員全員が疲れきってしまいました。錨を揚げ、荒波の中を港に帰るまで、その日は4時間かかりました。グロースター港の防波堤を過ぎて、内海に入ると急に波は止み、静かになって、港からの暖かい風が吹いてきました。文師は、「その時神の言葉を聞いた。神は「今日は皆ほんとうに良くやったね。良くがんばった。」と言って、自分を抱き寄せてくれた。その時、母親に抱かれているような安らかさを感じた。 「今日のことは、永遠に忘れません」と言ったら、涙がとめどもなく流れてきた。神様の母親のような愛を感じた。」と言われました。 又ある日は、急に水平線から真っ黒な雲が広がってきて、嵐が来ました。海の上では雷は危ないので、すぐに錨を揚げて港に向かって帰りました。途中で、あたりは夜のように真っ暗となりました。激しい雨となり、雷鳴が轟きました。だんだん雷鳴は近くなり、光ったと思っった瞬間、落雷があり、大音響と共に、空気がビリビリ震えるほど近くに落ちました。その時、文師の座っている席のすぐ横に避雷針があり、「危ないから席を移ってください」とお願いしたら、「先生はここでいいんだよ」と言われて、そのまま避雷針のすぐ横に平然と座っておられました」。その後も何度か、足がすくむような、大音響と共に、船のすぐ近くに落雷があり、空気がビリビリ震え、船員は全員顔が硬直していました。その日も事故なく、港に帰ってくることができました。文鮮明師の、指導者として、全員を守る為、自分自身を一番危険な状況に置き、先頭きって進んでおられる姿を拝見しました。 「荒海の中での、自分の限界への挑戦、神との出会いと対話、自分が先頭きって危険に対処し船員を守る」。それが、文鮮明師が作られた、オーシャンチャレンジの伝統精神です。
文鮮明師は、自分で実際にマグロ釣りを体験し、釣り竿とリールを使って、多くのマグロを釣り、又釣り逃した、体験から、効率よくマグロを釣るために、ハンドラインのシステムを考案されました。 3段階の太さのロープをつなげ、ハリスにはステンレススティールのワイヤーを使いました。浮きから錘までの深さを変え、魚の切り身のチャム(魚の寄せ餌)が沈降する速度に合わせて、ボートから浮きまでの距離を設定しました。 スポーツフィッシングでは、法律で一本のラインには一つの釣り針しか付けてはいけないことになっています。各ボートは5つか6つのバスケットを持って行きます。最初の頃は、3本の浮きの付いたラインと船の両舷側から出す二つのドロップライン合わせて5本のラインを使いました。 下図のように、一つのバスケットには一本のラインがコイルして入っています。ラインは3本の太さの違うロープが繋ぎ合わされています。一番太いロープは600フィートの長さ、重いので海に入ると沈みます。普通はバスケットの中に入れておきます。 中間のロープは細いので水にあまり沈みません。船から浮きまでの距離に使うので、長さが違います。このラインをミドルラインと呼びます。船から一番近い浮きは黄色の浮きです。ミドルラインは20ファトム(尋、ひろ、両手を左右に広げたときの両手先の長さ、1ファトムは約6フィート、約1.8メートル)の長さ、ミドルラインの端に浮きを付けます。浮きは下図のような船のフェンダーを使い、上方にカラーテープを巻き、その色でセットする深さがわかるようにしました。 浮きから重りまでは、極く細い黒色のナイロンロープで、ブランネルラインと呼び、海中で見えにくい。一番船に近い黄色の浮きのラインは、一番浅い所にセットします。即ち、5ファトムの深さになるように、浮きから重りまでのブランネルラインの長さを5ファトムにします。重りは16オンスの重りを二つ付けます。 ブランネルラインの端にはスウィブル(より戻し、猿環)を付け、そこに2.5ファトムの長さのステンレススティールのリーダー(ハリス、釣り針に付ける釣り糸)を結びます。リーダーのスウィブル、釣り針への結び方は、下図のように、7本の細いワイヤーのよりを戻し、3本と4本のワイヤーに分ける。それをスウィブルと釣り針の輪の中に通し、元の7本の縒りに戻します。釣り針は日本製の土佐針50号を使いました。 青色の浮きのラインは、ミドルラインを40ファトムの長さにとり、ブランネルラインの深さは、10ファトムにとり、赤色の浮きのラインは、ミドルラインを60ファトムの長さにとり、ブランネルラインの深さは、15ファトムに取りました。それで、浮きの色と深さで、ラインに名前をつけて、黄色の浮きのラインを5番ライン、青色の浮きのラインを10番ライン、赤色の浮きのラインを15番ラインと呼ぶこともありました。 このようにセットする理由は、「マグロが深いところからチャム(撒き餌)を食べながら上がってきて、ボートの周りを回りながらチャムを食べる。それで、チャムが潮流で流されながら沈み、餌が付いた針がセットされている近くを通るとき、マグロは間違えて釣り針の付いた餌を食べてしまう。そのとき、マグロがフックアップ(針がかり)する。」というのがその理論です。 チャムが沈んで見えなくなる深さがその日によって少し違いますが、だいたい2.5ファトムの深さで見えなくなります。それで、どのくらいの距離で見えなくなるかを目測し、その2倍の距離を取ると、チャムは5ファトムの深さに達しているはずです。その距離に黄色の浮きをセットすると、チャムは拡散しながら、餌の付いた釣り針の近くを通ります。黄色の浮きの距離の2倍の距離に青色の浮きをセットすると、チャムは10ファトムの深さに達していますから、青色ラインの釣り針の近くを通ります。黄色のラインの3倍の距離に赤色ラインをセットすれば、チャムは15ファトムの深さに達し、赤色ラインの釣り針の近くを通ります。 この理論では、黄色のラインの距離をいかに正確に目測してセットできるかがポイントとなります。これが正確であれば、後は2倍、3倍の距離を計算して、セットすれば全てのラインの釣り針は、チャムラインに乗ります。 満ち潮、引き潮によって、一日のうち何度も、潮の流れは変わるので、そのたびに潮の流れに合わせて、各ラインの距離を調整します。又、チャムによってドッグフィッシュ(小さな鮫の1種)が集まり、釣り針に付いた餌を食べてしまうことがよくあるので、時々ベイト(釣り針の餌)をチェックする必要があります。
現在は、マグロの資源が減少し、毎年釣ることのできるマグロのクオーター(毎年ナショナルマリーンフィッシャリーが定める上限数量)が減り、ボストン沖の漁場に来るマグロの数も減り、マグロ釣りのオーシャンチャレンジは行われなくなりました。
2001年ウルグアイのモンテビデオ市において、コルビーナ(大きな、いしもち)という名前の魚を釣る、オーシャンチャレンジが始まりました。 1996年文鮮明師がウルグアイに来られ、モンテビデオ市のブセオ港から海に出られ、コルビーナ、ぺスカリージャ(すずき)などを釣られました。9月から、3ヶ月間、毎日海に出られ、釣りに集中されました。一日に130匹のコルビーナを釣られた 時もありました 文鮮明師が、2001年5月にウルグアイに来られたとき、海に出られました。そのときウルグアイは冬ですから、海は寒く、大荒れに荒れていました。港から近くのフィッシングスポットに行って、錨を下ろして、フィッシングをされました。その日は、ラプラタ川の流れは強く、ボートの船首は西に向き、強い南の風が吹いて、南から大きな波が船に打ち寄せました。1時間くらい釣りをされましたが、その間3回、3メートルくらいの大きな波が来て、ボートの上にかぶさってきました。全員ずぶぬれになりました。大荒れの海の中、文師は平然と瞑想して、フィッシングをしておられました。港に帰ってきて、ボートから降りる文師に、ありがとうございましたと申し上げたら、私を見て、わっはっはっはと大声で笑われました。その時、ボートにいた全員がわっはっはっはと笑いあいました。「今日は、すごい波だったね。よくやった。ご苦労さん。」と言われているように感じました。 2001年12月(ウルグアイは南米の太平洋岸にあるので、夏は12月〜2月までです)モンテビデオの大学の学生達を対象にオーシャンチャレンジ が始まりました。
普通はコルビーナは銀色のきれいな魚です。産卵のためでしょうか、時々黄金色の魚が釣れます。大きいものは80cm〜100cmにもなります。
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